朝、目覚めると酷く寒かった。地球の天気は猫の目のように変わる。夜明けまで降り続いた雨も冷たかったが、今日は本格的に冷え込むのだろう。
煙草をふかしながら窓際に座るデュオは、ぼんやりした雰囲気と裏腹の鋭い眼差しを窓の外へ向けた。夜明けの薄紫に染まった空が徐々に鮮やかな青に変わっていく。
ふぅ・・・紫煙を吐き出す仕草に溜め息を混ぜた。
寝室で眠る”ヒイロ”の記憶がないという話は、本当なのだろう。傷だらけの体や銃を扱う者特有の節くれだった指を見れば、彼がエージェントか元軍人だと断じて間違いなかった。しかし・・・・同業者ならばデュオやヒイロの名を知らぬ筈がない。
惚けているだけなら、デュオは見抜けた自信がある。ある意味、自身が周囲を欺いて感情を作っている立場なのだ。他人の感情には敏感だった。
いくらでも偽名を持っているのだから、本名を名乗る必要はなかったデュオが彼に名を告げたのは、反応を見る為の引っ掛けだ。その反応を見る限り、”ヒイロ”は本当にオレの名を知らない。さらに確認の意味を込めて、ヒイロ・ユイの名を出したのに・・・・。
くしゃっと前髪を握り、くつくつと喉の奥で笑った。
違うな・・・確認するだけならオレの名で足りる。これはただの未練だ。アイツを思い切れない、忘れられないオレの未熟さが引き出した、哀れな想いの残滓に過ぎない。
「・・起きたか?」
ドアを開ける気配に気づき、そちらを見もせずに声をかけた。
「ああ・・・昨夜は・・」
「謝罪はいらないが」
意味深にそこで言葉を切った。
くるっと振り返って窓際から離れる。ガラスに寄りかかった体の右半身は冷えていた。
「食料がない。買出しに付き合ってくれるだろ、”ヒイロ”」
笑いながら手を差し出し、驚いたような顔を笑み崩した”ヒイロ”と連れ立って歩き出す。短くなった煙草をぽんと放り、背中越しに灰皿に落ちた吸殻を確認して施錠した。
朝食の材料を買いに行く筈が、帰宅は夕方になっていた。デュオより身長が10cmほど低い”ヒイロ”に洋服を選び、足りない毛布やら日用品を買うのは意外と時間がかかる。
大量の食料を買い込んだのは、荷物持ちがいたから・・・というより、部屋に何もなかった所為だろう。パンを買えば、ジャムやバターに手が伸び・・・飲み物も欲しくなる。コーヒーを入れる為に豆だけでなくフィルターも必要となり、卵や牛乳にベーコンとサラダの野菜を足した時点で、かなり紙袋は一杯になっていた。両手で抱えた荷物を大騒ぎしながら持ち帰った2人は、マンションの入り口で足を止める。
「あのさ・・悪いんだけど、オレンジ買って来てくれる? 荷物はオレがしまっとくから・・」
鼻の脇を掻きながらバツが悪そうに頼むデュオの姿に、”ヒイロ”は肩を竦めて手を出した。その上にぽんと財布を置き、「悪いな」と再度拝むようにして送り出す。
階段を下りる彼の足音が聞こえなくなり、デュオは冷たい表情でドアを見つめた。
現在、この部屋に人はいない。家主であるデュオ以外に部屋の鍵を持つ人間はなく、それ故に中に感じる押し殺した気配に警戒心は高まった。
アイツが戻るまでに片付けるか。
ジーパンのベルト辺りを右手で確かめ、室内に踏み込む。ドアの外に置いたままの買い物を無視して足を進め、リビングの前で苦笑して声をかけた。
「・・・・・まさか、本物がお出ましとは・・・」
さすがのオレも驚いたぜ。
愛用のナイフを抜くことなく、侵入者が振り返るのを待つ。
人形のように整った無表情に、僅かな笑みが刻まれていた。口角を引き上げただけの冷笑の美人は、美しい黒髪に彩られた白い顔をゆっくりデュオへ向ける。長い睫毛が縁取る瞳の色は、吸い込まれそうな蒼。
「久しぶりだな、デュオ」
同じ発音なのに、誰とも違う響きで呼ぶ青年は記憶より大人びていた。
「ああ、元気だったか? ヒイロ」
確かめるように名を口にする。作った笑顔で応じたデュオが肩を竦めて踵を返す。
「冷凍食品をしまうから、少し待っててくれ」
数年ぶりの出会いにも関わらず、毎日顔を合わせる友人を待たせるような気軽さでデュオは荷物を取りに玄関へ向かった。買った食料品を棚や冷蔵庫にしまいながら、ついでにコーヒーを淹れる。コーヒーメーカーがこぽこぽと音を立て、芳醇な香りが室内を満たす頃・・・トレイにカップを乗せたデュオがソファに落ち着いた。
「今日はどうした?」
差し出したコーヒーをヒイロが受け取ったところで、玄関のチャイムが鳴る。
「はいはい」
意味ありげな視線を送ったデュオが立ち上がり、1人の青年を連れ立って戻ってきた。中にいるヒイロに気づいて身を震わせた彼は・・・・ソファに座るヒイロに酷似している。黙って立っていれば区別がつかないだろうが、浮べる表情があまりに違いすぎた。
「”ヒイロ”、これがおまえの名前の由来になった旧友ってヤツ。・・・ん? 雪でも降ってきたか? 髪が濡れてるぜ」
簡単な説明の直後、黒髪が湿っていることに眉を顰めた。タオルをかけてやり髪を拭こうとすれば、彼は泣き出しそうな顔で俯いている。
「とりあえず・・座ってコーヒー飲めよ」
自分の隣に座らせた”ヒイロ”と、向かいで興味深そうな顔で観察しているヒイロ。
双方を交互に見つめたデュオは、膠着した現在の状況を打破すべく言葉を探していた。窓の外は・・・今年初めての雪が舞い始め、まだ隠れていない月の光に幻想的な景色が広がる。
「何から説明すりゃいいのかねぇ・・」
思わず呟いたデュオが、隣の青年の濡れ髪を拭きながら溜め息を吐いた。
To Be Continued....
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